山行概要
12月27日(快晴)
大町駅前にもたっぷりの雪。この4年間で一番雪が多い。年末の土曜、北鎌や硫黄などに行くパーティーのおかげでトレースはばっちり。高瀬ダム上の長いトンネル2本を抜けた所からワカンになるが、楽に無名避難小屋に着く。小屋の中にぴったりと4・5人用テントが張れる。天気は信じられないほどよく、高瀬の青い湖面が美しくハイキングのようだった。
久留島、浦西の2名で尾根上までトレースをつけにいく。さらさらと崩れる新雪で、なかなかのラッセルだ。避難小屋で宴会。
12月28日(快晴)
今日も快晴。標高1600m過ぎからは、ときどき木の間から北鎌を従えた槍が姿を見せる。この尾根上部の眺めの良さは間違いない。
1700m付近から岩混じりの急登となり、1750m一段軽く下った先の登り返しでアイゼンに履き替える。西野が取りつくが一手進めず、久留島が上からロープをたらす。
1880m、左から尾根をあわせた先に予定通りテントを張る。久留島、2050m付近までトレースをつける。
12月29日(雪のち晴)
夜中に雪が降るが昨日付けたトレースはうっすら残っており、それを頼りに暗いうちの出発。トレースがきれるあたりで明るくなり雪もやむ。2130m、両側切れており雪も深いため、念のためロープを使う。
2300m、尾根が斜面に吸い込まれ消滅。目の前の主尾根にのる。撤退のための赤布をここまでうってきたが、この尾根を下降に使う場合、この下降点は赤布なしではわからないだろう。
2400m、目の前に北鎌を望む絶景ポイントにテント設営。槍の穂先が曇っているのが残念だ。このあたり、テント場はたくさんある。
12月30日(曇りのち吹雪)
日本海に低気圧発生。これが抜けると急速に発達。天候はこれから年始にむけて悪くなる。今日中に東沢尾根の樹林帯まで行くか、天気悪化が早ければ燕山荘に逃げるか。
2437mピークからナイフリッジ。雪が足元から崩れる。ロープ使用。その先、小ピークから本格的な下りだ。夏に偵察した時はコルから1人で30分ほどで往復しており楽勝と思っていたが、雪が多く足場が決まらず、ロープなしではとても進めない。結局、この下りにロープ(30m)使用8回、3時間もかかってしまった。
コルでワカンに履き替え、ラッセルが続く。
2500m付近尾根が広く、足元右斜面より表層雪崩発生。
2580m、左右に亀裂の入ったナイフリッジの通過にロープ使用。どこから崩れるかわからず、非常に神経を使う。ここまでおおむね右にでていた雪庇がここからは左にも出はじめる。西尾根なのでちょっとした尾根の動きで雪庇は右にも左にもなるのだ。
今まで何とかもっていた天気も崩れ始め、視界を失う。傾斜は落ちたが、尾根は複雑で雪庇の場所がわからず、トップのみロープをつけてルートを探る。
15時20分、稜線。立っていられないほどの強風、視界ゼロ。ここで西野が疲労のため動けなくなる。あとのメンバーは元気。ここから燕山荘までは夏道で45分ほど、視界がなくても赤布連打で迷うこともない。小屋に逃げようと、ゆっくりでも進む。
16時燕山頂。18時20分、小屋までの最後の登り返し(夏道で小屋まで5分の所)でついに完全に動けなくなり、風の弱い所を見つけテントを張る。西野の指が黒く、湯煎する。夜中に何度も吐く。
12月31日(雪ときどき晴)
天気は一時的に回復。大晦日の合戦尾根は数百人の人が下から上がってくる。舗装道路のように固められた道を何度も吐きながらも自力下山。中房温泉下の車道で温泉のオーナーの方に、西野と付き添い1名と全員の荷物を車に乗せて頂く。車止めゲートから救急車、松本の相沢病院へ。他のメンバーはゲートまで歩きタクシーで病院へ。診断の結果は極度の疲労からくる急性胃腸炎。手足の指は5本凍傷(1〜2度、現在完治)。入院。その他メンバーは体調良好。
タイム
12月27日
9:00葛温泉 9:30七倉 10:20高瀬ダム下 11:00高瀬ダム上
11:50東沢出合 13:20林道終点 14:00名無小屋
12月28日
6:00出発 6:35コジ沢出合 7:10尾根取付 10:00 1650m
12:00 1750m 15:00 1880m
12月29日
6:00出発 7:00 2000m 10:30 2130m 14:40 2400m
12月30日
6:30出発 7:30 2437mピーク 10:20 2370mコル
13:30 2580m 15:20稜線 16:00燕岳 18:20燕山荘手前
12月31日
10:00出発 12:30合戦小屋 15:00中房温泉 18:30ゲート