霞沢岳合宿
2013年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
メンバー:CL小野寺、SL田中、食料野口、松邨、錦織、中島、樽木の7名 記録:小野寺
日程:2013年12月28日〜31日


出発まで
当初は9人の予定であったが、個々の都合で2名が外れ7名になった。このこと自体はやむを得ないことである。ただその人が準備担当になっていた時とか、装備等手配も既に9人を前提に組んでいた時など、ケースにもよるが参加できない場合でも参加者・担当者としての責任範囲(具体的には例として合宿出発前1週間など)を予め定めておくべきであった。個人山行ではなく、合宿という意味合いにおいて。これは個々の問題ではなく会の問題である。

12月28日
例年はバスで行く者、電車で行く者、バラバラなケースが多いのであるが今回は7人全員がいみじくも同じ電車(新宿7:00発スーパーあずさ)であった。車両は各々予約したりしていたので別であった。9:40過ぎ松本駅に全員が下車、その後ジャンボタクシーの待ち合わせ場所に移動、10:00過ぎに松本駅を出発する。7人で余裕があるほどの大きなタクシーで運転手も気さくで登山者には慣れており、いろいろと話をすることが出来た。雪についても麓は少ないが上部に行くと積もっているとのこと、確かにダムを過ぎた辺りからは積雪量が違っていた。釜トンの中の湯側についたのが11:20、いつも通り風が冷たく寒い、少しだが雪も舞っている。早速相談所に登山届を済ませた。我々の予定のルートには誰も入って居ないとのこと。沢沿いの夏道には気を付けるように言われる。我々は昨年も同じ個所に入っており、夏道をのみを真っ直ぐ進むのではなく途中から尾根に取りついていたので、そのことを言っているのだと理解した。荷物の配分装備の装着等をトンネル内で行い、出発する。出口までの全長は約1300m、12:00前に出て、12:20に出口に到着、デポ用品を隠す。歩いてきたせいもあるが気分的にこちらの方が入り口より暖かい感じがする。アイゼンやスノーシューを装着しなくても十分歩ける感じであったが、小野寺は持って歩くのも面倒なのでスノーシューを装着する。

歩き始め

12:40に出発したが気持ちよく歩ける。大正池ホテル前に着いたのが13:20、そしたら他もスノーシューを着けだした。このホテルも正月の間だけは営業しており、宿泊して軽い荷物で散策する人もチラホラ見受けられた。いつも、やがてはそんな風にして山の感じを味わいたいなどと思うのだが実践した試がない。困った性癖だ。13:40出発、途中から雪が降り始め視界も段々利かなくなる。帝国ホテルを過ぎてさて次はバスターミナルだ、2,3張りのテントがあった。風も場所により強い、14:30について14:53に出発する。やがて足元の雪も増え、ツボ足では苦しいはずだ。夏でもこの間はやや時間がかかる。先頭の5人は16:10に明神に到着、テントを張る準備をする。辺りは暗くなりかけている。他のパーティは道近くに張っていたが我々は少し池寄りに入り、広い箇所を求める。何せジャンボエスパースと3,4人用の2張りだ。他の2名が着いた頃にはテントは出来上がっており、皆分かれて中に入る。田中は梓川に水汲みに行って足だけ川に突っ込んだらしく冷たい冷たいと言っていた。この日は入山祝いで、食料は忘年会雰囲気らしい。因みに翌日は納会とか。食料と酒が相まってまずは楽しい宴会だった。今日計画書提出をしたとき、どんな感じの登山をするのか、と記者に聞かれたが、その時は、登っている途中は冬山であるし、厳しいと思うが、テント内では楽しくしたい、と答えておいたが、まさにそのようになった。勿論、ここで事故でも起きようものならこの「楽しく」という言葉だけを捉えて新聞で叩かれかねないと危惧していたが、初日はまずまずであった。

12月29日
05:00起床、0810出発、テントを畳むのもあったが、それにしてもちょっと時間がかかり過ぎた。雪も降っておらず、明神岳は朝日が当たって輝いている。

分岐点から明神岳


分岐点にて


同じく分岐点にて

08:30に徳本峠分岐でいよいよ中に入る。先頭5名、後ろに2名(1名は付き添い)で進む。09:30に先頭は一度休憩する。まだ昨年の初日のBCに届いていない。ここで2名を待つことにする。今日の行程が心配との声が出る。昨年通った地形から考えて、緩勾配にかかっている時間と尾根に入り急勾配にかかるだろう時間、及び今の時間を考えると今日の明るいうちに徳本峠に着くのはかなり難しいだろうとのこと。このまま進んでも途中には広いテント場は確かにないことは分かっている。するとまた明神に戻らなければならなくなる。ここは一端引き下がり、徳沢園に行き、行けるもので蝶が岳に目標を変えたらどうか、ということになる。どちらにしても今日のうちには蝶が岳も無理、明日晴れれば長い尾根であるが行って帰って来る確率は十分に高い、そしてうまくいけば新人も頂上に立つことが出来る、とのことで後続の2名に相談に行き、了解してもらう。それで1610mを折り返しとして10:35〜11:14に分岐に戻る。この間法政の学生が6名上から降りてきている。分岐で一時休憩する。その後11:30〜12:20で先頭は徳沢園に着き、テントを張る。後続も13:30頃には到着、とにかくこの日はここでゆっくりする。この29日には、単独で広島山岳会の名越氏がここを通って行ったらしい、そして横尾尾根に入ったらしい、しかしこの原稿を書いている1/10現在もまだ見つかっていない。天候悪化で山岳会の捜索隊も松本に下山したとのこと。


  徳沢園に張ったテント

さて、この日は納会とのこと。またまた美味しい料理と酒が飲めた。そして、、そしていつになく夜更かしと言われる時間帯になっていった。

12月30日
 田中、野口、松邨、錦織の4人は蝶が岳目標ということで6時に出かけて行った。昨夜は上部では風が強かったようだが、この周りの天気は悪くない。後で聞いたら前穂はよく見えたが槍が岳や奥穂、北穂などは雲っていて見えなかったらしい。後の3人は09:20にゆっくり出発し、2157m付近で折り返した。折り返し点到着は13:00であった。ラッセルがしっかりしてあったので難なく登ることが出来た。途中数人の登山者とすれ違う。単独行もいた。


途中に木々の間から見える前穂高

13:20に折り返し点を出てテント場には15:00過ぎに到着、その後20〜30分後に4人が戻ってきた。無事蝶が岳に登ったとのこと。よかった、よかった。さて、この日は何故か酒も進まず、皆比較的早く就寝した。



12月31日
 この日は帰るだけである。やや暗いうちから出発、天候は悪くはなかった。時間は以下のとおりである。 出発0558、明神小屋0744〜0754、小梨平上部 0856〜0914、大正池ホテル1029〜1106
釜トン山側 1146〜1205 中の湯側1224〜1237 。
 相談所で下山報告書があるなら書きます、と言ったらそれは結構です、と言われてしまった。それも変な感じがしないでもないが、まっ、いつまで経っても帰らないパーティがいたときに計画書を見る、ということなのだろう。  あとは同じジャンボタクシーが来てくれて、運転手も同じで沢渡で湯につかり松本で無事の祝杯を上げた。

以上。