富士山 雪訓
2010年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
メンバー:牛山、長坂、西野、池部、結城(4日のみ)、錦織、小野寺(記)

日程:2010年12月4、5日

場所 富士山・吉田口6合目付近
写真、牛山、池部、小野寺
かって富士山雪上訓練と言えば11月末の連休が定番であったが、雪の降る時期がずれたりして結局12月にそのままスライドしている。付け加えて当会自体も久しぶりの(数年振りの)訓練であった。今や富士吉田の駅から歩いて5合目に達しようとする者はついぞ見たことがない。恐らくいるにはいるだろうが?
さて、7人の参加者を得て2日間の訓練が行われた。往路、「富士山は雪崩警報が出ているから注意」と小柳さんから携帯メールが入った。感謝。 

集合場所 JR八王子駅北口郵便局前
集合時間 12月4日午前7時

・ 牛山代表は若干遅れるとのことで7時半に錦織の車に5人乗って出発、結城とは現地で会うことになっている。朝早いせいか渋滞に巻き込まれることなく中央道を降り、富士吉田の駅を経由して中の茶屋着9時過ぎ。結城が待っていた。滝沢林道へ入るゲートは閉鎖してあった。結城の車に分乗して馬返しに向かう。道はよく思いのほか早く着く。そうしたら何と車、車、車。馬返しの広い場所が多くの車で埋まっていた。確かに時期的にはその通りで他の山岳会もこの時期に集中するんだな、と納得、2台の車を停める。共同装備を分担する。
・ このまま登ってもよかったが、牛山代表の到着を待つことにして、その間ビーコン操作の基礎を練習する。本来、雪崩ビーコンの訓練は雪のあるところで行うのが本筋であるのはよく分かっているが、富士山の雪では上部でも同じと思い、雪のない、しかも比較的暖かく、風もない馬返しで行った。当然経験者はいるが、一応基礎からということで電池の挿入、電源スイッチオン、発信状態における電波の伝播マップ(捜索時はこれが重要)、受信への切り替え(及びそのタイミング)などを実機で練習する。一台を隠して捜索の練習をしたら、皆さん簡単に捜しあてた。プローブについても折り畳み状態から伸ばしてのセッティング、捜索方法について行う。勿論、埋まった状態での捜索練習は出来ないが、別の機会に、埋没体験も入れて一連のしかも実際に近い訓練は必要と思われる。
・ そうこうしているうちに牛山代表が到着、10時半に出発する。重い荷物でぜいぜい言いながら3ピッチで13時半頃に佐藤小屋前に到着、やはり多くのテントが既に張られていた。我々は小屋から少し離れた場所で上部への道に近い場所に設営する。スバルラインは開通しているようで、佐藤小屋の保さんがそちらからジープでやってきた。下図のようにテント設営。小屋の前のトイレはきれいに改造されていた。
・ そして出発(逆光ですかね)。この日は6合目付近でアイゼンでの歩行訓練となる。結城は6合目に着いた付近から下山となる。まさに残念そうであった。

夕方、16時頃にはテントに戻り、夕餉のひと時を迎える。
食事は美味しいキムチ鍋。汗を拭きながら食べる。話も弾み、良は例によりよく喋り就寝は22時過ぎとなる。   写真、池部君が外れてましたね。

12月5日
5時半起床、昨夜の残りの鍋を平らげ、6時50分に出発。

訓練は6合目、お中道の傾斜部分を利用して行われた。全体的にかなり凍っており、 場所の選定を誤ると失敗した場合、下まで滑り落ちるのを防ぐためである。

ツバクロ沢のデブリ

こんな危険な個所で行っているPartyもいる。↓ 拡大して見て下さい。

行った訓練の内容としては、滑落停止、スタカットクライミング(隔時登攀)の確保技術としてのSAB(Standing Axe Belay)、コンティニュアスクライミング(略称コンテ、連続登攀)の確保としてのOSA(Osaka Shoulder Method) → 安易な使用は危険、同じくコンテの一つとしてタイトロープ → パートナーをよく見極めて。
以下、訓練の一コマ。SABとタイトロープ。


11時半 無事終了。テント場に戻る。
12時40分、5合目発〜14時 2ピッチで馬返し着。
2台の車に分乗して帰路につく。
帰りの中央道は時間が早かったせいか空いており、16時過ぎには八王子駅北口に着く。

以上
**注
ビーコンについては一部「練習」とし、他の箇所は「訓練」にしています。違和感があれば訂正して下さい。写真は各々のカメラの解像度の問題でサイズが異なっています。

同日、静岡県側で滑落死亡事故あり。