白山(敗退)白山一里野〜尾添尾根〜2200m付近〜白山一里野
2005年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
日程:2005年12月28日〜2006年1月1日
久留島 隆史、山田 隆(無所属)

今年の大雪は異常だ。雪崩が心配になる。今回の山行のために色々考えた挙句、凧用の竹ひごを70本用意して旗竿とし、10日分の食料と燃料を用意した。

12月28日(東京〜夜行発)
急行能登はここのところの大雪で運休。上越新幹線も運休しており、バスは帰省ラッシュで満員だ。「ムーンライトながら」で大垣まで行き、米原から福井経由で金沢に入った。

12月29日(晴れ)白山一里野温泉スキー場〜しかり場上の鞍部
福井に入ると雪国の風景になる。雪が多い。タクシーの運ちゃんの話では12月の晴天は4日、あとは雪だという。例年の2月くらいの積雪らしい。このあたりでも積雪で家が潰れたそうだ。スキー場のリフト終点まで行き、いよいよ入山。私はこの山行のためにシール付の橇を自作した。スキー場の圧雪斜面で抜群の威力を示したが、登山道に入ると転がってしまいまったく役に立たない。デポする。晴天のもと積雪をまとった木々が美しい。スノーシューで膝上から腰のラッセル。夕方までがんばってようやくしかり場にテントを張った。単独のおじさんと出会う。今日は晴天と予想外のトレースに助けられた。

12月30日(雪のち吹雪)しかり場〜奥長倉避難小屋
未明から雪。徐々に積雪が増え、なだらかな尾根に発達したキノコ雪が続く。腰から胸のラッセル。空身での往復が続き、キノコ雪の乗越しに苦労した。夕方になり、避難小屋のあたりまで来たが小屋が見当たらない。2階建の小屋は吹雪のなか屋根まで埋まっていた。完全に埋没していたら小屋を見つけられなかったにちがいない。冬季用出入口を掘り起こし小屋内にテントを張った。

12月31日(晴れ)奥長倉避難小屋〜2200m付近〜奥長倉避難小屋
奇跡的に晴れた。しかし予想以上の積雪と、明後日以降の冬型気圧配置にモチベーションが下がっていることは否めない。この先の美女坂はキノコ雪の痩せ尾根。吹雪の下降は難しそうだし、稜線で閉じ込められる恐怖に怖気づく。これ以上キャンプを持ち上げるのをやめ、登頂の可能性は低いが、アタック装備で行けるところまで行くことにした。雪庇が左右に張り出しルート取りが難しい。美女坂は石楠花の藪に雪が乗り不安定だ。標高2000mを越えると別世界となる。行ったことはないが南極みたいだ。風が強く寒気で顔が痛いが気分は最高。ダイヤモンドダストのきらめく稜線に旗竿を立て前進する。しかし山頂は遠い。明後日以降天気はしばらく大荒れになる。悔しいが、2200m付近のピークで写真を撮り下降した。

1月1日(晴れ)奥長倉避難小屋〜白山一里野温泉スキー場
下山は晴天で雪が締まり、昼過ぎにはスキー場に着いてしまった。一里野温泉で宿を取って年越しの山籠りは終了。案の定翌日は雪だった。山の上は吹雪いているだろうか。

白山は予想以上にデカかった。できる限りの準備をしたがまったく歯が立たなかった。10日分の食料でじりじり行けば登れるだろうと思っていたが甘かった。12月31日〜1月1日の晴天を使い、テントを置いてワンビバークでアタックをかけるなどのアイディアが必要だったと思う。しかし山中でそのようなアイディアは生まれなかったし、気持ちが山に負けていた。気象条件の厳しい大きな山でこそスピードが重要だということを思い知らされた山行だった。
(記:山田)