飯豊全山縦走
2003年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
03年12月27日〜04年1月1日
久留島隆史(26)牛山朋来(36)下田隆三(20)=昭和山岳会

   飯豊は本州一の豪雪地帯にあり、そのたおやかな地形から、技術的困難度は なくても、ルートファインディングや体力面での困難度ではやはり本州随一で あろう。この山域での記録の多くは、デポや数回にわたる偵察を含む、大規模 な計画の下での成功である。岩壁や高所での登山がよりシンプルなものを求め る時代、縦走という特別な道具を必要としない最もシンプルなはずのスタイル が昔から進化しないのには矛盾を感じる。
 昨年末朝日の稜線を4日で駆け抜けた(03年5月号120ページ掲載)あ と、私の気持ちは1年間飯豊に注がれてきた。しかし、偵察は面白みを半減す ると思い、あえて飯豊には触れなかった。手軽に飯豊の稜線を駆け抜けたいと 思った。
 メンバーは当初、冬山全くの1年生の下田との2人での山行も覚悟したが、 出発3週間前、朝日のときも一緒だった牛山さんも参加することになり、3人 となった。日程は、最大9日間。私は夏の飯豊に学生時代行ったことがあるが、 ほかの2人は飯豊自体初めてである。

12月27日(曇り時々雪)

 大石ダムより入山するが、坂町では土砂降りだった雪も止んできて晴れ間さえ 見せている。スノーシューを最初から履くが、雪は他の山域同様今年は少ないよ うで足元程度しかない。途中で、先の駐車場の所まで車で入ってきたR会の人たち と会う。彼らも9日間の日程で、弥平四郎に抜ける予定だという。本隊6人に、サ ポート隊が10人はついている。デポがなんと13箇所もあるという。まさかこ んな所で人に会うとは。


 第2の橋を越え登山道に入る。そこからいったん第3の橋に向け下るが、下り 口を間違え、その間にR会が先に行く。第3の橋で追いつき、そこから本格的な登 り。フィックスロープを頼った急登となる。最初の1時間はR会のサポートの人 1名と私の2名でラッセルするが、彼は日帰りなので帰ってしまい、すぐに我々の パーティ3人でのラッセルとなる。後のメンバーは追いついてこず、我々がカモス 峰のテント場で水作りをはじめるころ到着した。  

* 大石ダム8:00 第2の橋11:00 第3の橋12:00 カモス峰15:30

12月28日(曇り時々雪のち吹雪)

 今日も、我々が全て先行する。雪は最初膝上程度であったが、千本峰の登りでは 腰までの深さで若干ナイフエッジになっているところもあったので、空身での ラッセルも交えて進む。ラッセルにもテクニックがあり、体力は1番あるがラッセ ル初めての下田は、急登になると全く進まない。長者平付近は迷いやすく、慎重に コンパスを切って進む。杁差山頂では突風に倒され、早々に下山開始。ホワイト アウトの中、小屋を見つけたときには、1日がんばった満足感と安堵の色が、 全員の顔に表れていた。暗くなる直前の4時30分ごろ、R会も到着し、ビールと 日本酒をご馳走になる。

* 発7:00 千本峰10:30 杁差小屋15:00

12月29日(曇りのち吹雪)

 朝、風は強いが視界はあり出発。大石山へ登り返す頃には手のつけられない強風 となり、強いところでは耐風姿勢をとっていてもコロッと倒される。そのような ところでは、1歩進むと1分ふんばっていなければならない。完全に視界も閉ざさ れ、目の前に突然現れた頼母木小屋にみんな疲労困憊で倒れこんだ。少しでも天候が 回復すれば門内まででも進みたかったが、ますます風は荒れ狂いこの日はここまで となる。
 10年以上北海道の冬山で鍛えられた牛山さんをして「行動限界を超えた風。 耐風姿勢の大切さを初めて知った。」と言わしめた。冬山初めての下田は、それなり の覚悟をしてきたらしく、歩きながらこれが冬山だと1人で納得していたらしい。 すごい根性だ。この日を耐えられれば、普段の冬山なんて楽勝だろう。
 この日、R会は杁差小屋に停滞したようで、完全に自分たちだけの静かな飯豊に 戻った。夜は寒冷前線の通過に伴い、雷が鳴り響いていた。

* 発7:00 大石山8:50 頼母木小屋10:00

12月30日(吹雪のち曇り)

 視界は20m程しかないが、風は昨日よりおさまっている。回復傾向との予報を 信じて出発。それでも風に向かってはとても進めない強さ。各自5回は突風に倒 されただろうか。風が右から吹いているので右に体を傾けて歩くが、突然風が なくなると今度はそのまま倒れてしまう。まるで、自然に弄ばれているマリオ ネットだ。
 門内小屋で大休止。小屋が要所にあるのは本当にありがたい。なければ、この 縦走は何倍難しいものとなるであろうか。牛山さんは、昨日か今日か、知らぬ間に 右の頬と鼻に大きな顔面凍傷を作っていた。
 門内岳山頂からの下りは判り辛く、慎重にコンパスを合わせて進むと、やがて 顕著な尾根に出た。北俣岳手前では一瞬青空も現れ、久し振りにみんなの顔に余裕 が戻る。

* 発7:00 門内小屋11:00〜12:00 梅花皮小屋14:30

12月31日(晴れ時々曇りのち吹雪)

 予報は昼前から雪。しかもこれから1週間、ずっと雪模様とのこと。今日は、コース のポイントとなる御西岳〜飯豊本山を通る。このだだっ広い稜線は、荒れたら手が つけられないであろう。みんなで前日出した結論は、逃げ切り。雲が降りる前に、 本山を越えようということになる。
 ヘッドランプをつけ、暗いうちから行動する。入山以来はじめて見る、満天の 星空と、海岸線がくっきり見える夜景に酔いしれながら、烏帽子岳に登る。大きく うねる縦走路を南に向けて降りだすと、今年最後の朝日が、山並みを青から紫、 そして赤へと染めていった。
 天狗の庭付近を登るときには、ついに雪が舞ってきた。雲は確実に降りてきている。 御西小屋では大日岳は完全に雲の中だったので、アタックを止め先を急ぐが、本山を 登るにつれ再び晴れ始め、サングラスが必要なほどになる。

 11時、飯豊本山着。これまでの苦労に報いるかのように360度の展望が迎えて くれた。風は強いがみんなもう慣れっこで、本山小屋にむけ、3人そろって右に体を 傾けたおなじみのポーズで下っていく。御秘所の手前では、R会以外のパーティと 入山以来、初めてすれ違う。切合小屋からは、もう要らんというくらい赤布が連打 されていて、迷うこともない。
 三国小屋に着くと、驚いたことに大勢の人がいた。小屋はほぼ満員である。冬の 飯豊とはいえ、その主要な登路である松ノ木尾根には、正月は地元を中心として たくさんの人が入るらしい。今までの静けさが嘘のようである。
 ここまでくれば、もう安心。外は、再び吹雪いている様であるが、小屋の中は別天地 である。残った5日分の食料を次から次とたいらげ、この日のためにとっておいた 日本酒もあけ、紅白から行く年来る年まで、半分寝ながら楽しい夜を送った。

* 発5:40 御西小屋8:50 飯豊本山11:00 切合小屋13:00 三国小屋14:30

1月1日(晴れ)

 今日から荒れるという予報は、どうやら1日ずれた様で、入山以来1番の晴れ。 初日の出を見て、携帯電話でタクシーを予約してから下山。松ノ木尾根には完璧な トレースができており、かえって歩きにくいくらいである。春のような日差しの中、 途中だらだら休んでも、川入まで3時間で降りることができた。飯豊の湯につかり、 元旦から気持ちよく1年のスタートを切る。

* 発7:30 川入10:30

 今年は雪が少なかったようなので、雪の量によっては下部のラッセルに倍以上の 時間がかかることも考えられる。また、今回はポイントとなる御西小屋周辺で晴れた ため、停滞なし6日間で抜けることができたが、縦走を成功させるには最低2日の 予備は必要だろう。
 赤旗は70本持参したが、御西小屋周辺で晴れたため、実際には杁差岳手前の 長者平と門内岳からの下りに各3本使用しただけだった。
 今回のような山ではワカンにピッケルより、スノーシューにダブルストックの 組み合わせのほうが断然早い。我々は全コースそのスタイルで歩き通し、ピッケルと アイゼンは全く使用しなかった。ただ、雪の状態によっては必要と思われるので、 ピッケル、アイゼン、細めのロープくらいは持っていたほうがよいと思う。             

                                             (記 久留島)