後立山主脈縦走 (岳人No674掲載)
2002年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
栂の森〜白馬岳〜鹿島槍〜爺ヶ岳南尾根支稜
日程:2003年3月24日〜30日
メンバー:久留島 隆史・山田 隆(山の会樹眩霧)
3月24日(快晴のち雪)栂の森〜白馬大池〜三国境
12日分の食料と淡い期待を背に3月の後立山へ。栂池からゴンドラに揺られると栂の森だ。初めてのスノーシューは急斜面がつらい。凍った白馬大池を渡り7時間半かけてようやく三国境に辿り付いた。雪がちらつき始めた。

3月25日(吹雪)三国境〜白馬岳〜天狗山荘
 吹雪の中6:45出発。スノーシューで膝上のラッセル。新雪が落ち着かない。久留島はスノーシューで行くが私は上手く歩けずアイゼンに替えた。8:00に白馬岳に着き私がトップで下降するが、ガスの中大雪渓側に降りてしまい登り返す。杓子岳のコルへの下降点もわかりにくい。私がバテたため杓子岳に12:00、白馬鎗には14:00になり、天狗山荘に着くころには16:00を過ぎていた。

3月26日(晴れ)天狗山荘〜不帰の嶮〜唐松岳頂上山荘
 積雪が40cm増えた。風は強いが天気はいい。久留島は地吹雪のなか果敢に大便をしている。6:30出発。天狗の頭まではラッセルが続く。不帰への下降は所々鎖が出ており思ったほど悪いところはない。U峰の登りは新雪の多いなかステップを丁寧に切り込み夏道を忠実に。掘り起こした鎖を辿って直上すると、鉄梯子の橋を渡り核心のピッチに出た。ここでアンザイレンして信州側70度程の不安定な雪壁をトラバース。途中ハーケンを一本打つ。U峰北峰には12:00に着きナイフリッジを経て南峰へ。V峰は夏道を忠実に辿るがA尾根の頭でルートを失う。いやらしい岩場を2時間近く試登するも登れず、地形図を再確認するとルートは大きくトラバースしていた。17:30唐松山荘着。この日私はスノーシューを片方谷底に落としてしまい、以後ラッセルに苦労することとなった。

3月27日(晴れのち吹雪)唐松岳頂上山荘〜五竜岳〜キレット小屋
 7:30に出発するとすぐに牛首岳の下降だ。鎖を伝い、所々バックステップも必要になる。大黒岳から先は雪庇の張り出しが大きい。膝上のラッセルを続けると11:30五竜山荘着。頂上直下の雪壁を慎重に登り13:00五竜岳着。鹿島槍のピークはまだ大変遠くにあり、美しいがあまり気分のいい眺めではない。G5までは岩稜の急下降が続き、雪が多いのでわりと厄介である。いやらしい岩稜の登降を経て14:30にG5の頭へ。南側は垂直の雪壁だが残置支点がある。捨て縄を足し懸垂で1ピッチ下降した。赤抜に16:30、口の沢のコルに17:30の到着。日没が近づき焦りがつのるなか吹雪き始めた。夏道が新雪に消えてしまい稜上を行く。行き詰って不安定な雪壁を1ピッチトラバースするが雪崩れそうなので登り返す。しかしきわどいミックスに行き詰る。しかたないので恐る恐るトラバースし急な草付をダブルアックスで登り返す。吹雪のせいでお互いどこに居るのかよくわからず怒鳴りあう。ヘッドランプが壊れてしまい足探りで雪壁を降り、気付いたら雪に埋もれたトタン屋根に立っていた。キレット小屋の屋根であった。21:00を過ぎていた。

3月28日(吹雪のち地吹雪)停滞
明日の好天を予想し停滞。久留島は股間が凍傷になったと泣いている。一昨日の大便とハーネスの締め付けが原因だろうか。こんな場所で私には何もしてあげられることがない。

3月29日(晴れのち曇り)キレット小屋〜鹿島槍ヶ岳〜爺ヶ岳〜爺ヶ岳南尾根
 星が出ている。5:30に出発し、鎖場と梯子を登って八峰キレットの懸垂下降点へ。下降後1ピッチ不安定な雪壁をトラバース。鎖は雪に埋まっていた。急斜面を登ると鹿島槍の北峰直下に出るが、夏道は雪崩れそうなのでガレた斜面を直上。足元から北壁がカクネ里へ吸い込まれる。最後70度程の草付はダブルアックスで北峰へ抜けた。そのまま南峰へ。冷池山荘には12:30着、膝上のラッセルで爺ヶ岳を目指す。ルートがクラストし始めるとともにガスが出始め、15:00に爺ヶ岳南峰着。16:00、2400m付近で幕営。安全地帯まで辿り付いた安堵感でお互い笑ってしまう。久留島は凍傷が回復してきたようで上機嫌だ。

3月29日(晴れのち曇り)爺ヶ岳南尾根〜南尾根支稜〜白沢出合〜日向山ゲート
 春山らしい爽やかな陽気は入山以来はじめてだった。6:00に出発し軽やかに降った。長い車道歩きを避け日向山ゲートに近い支稜を降る。所々急な堅雪斜面やクレバスがあり、あまり気楽に降れるところではなかった。久留島はクレバスに落ち、助けに行こうとグリセードした私は滑落しかけたりした。そして白沢に向かう樹林帯の雪壁を下降、11:30、車道へ。日向山ゲートから大町温泉へヒッチハイクさせてもらうと、ようやく私たちは露天風呂に飛び込んだ。

当初この計画は蓮華岳東尾根までの予定であった。しかし燃料が不足し、スノーシュー紛失によるラッセル力不足もあって爺ヶ岳までとした。燃料はガスを使ったが、暖をとることを考えると大カートリッジ4本では足りなかったようだ。

(記:山田)