赤岳主稜(多分)
2000年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
2001年3月13日・14日

三苫 育

正月の八ヶ岳合宿以来、敗退がつづいていたのでそろそろ一本ぐらい成功させたかった。谷川一回、甲斐駒二回の敗退の原因は、技術如何というよりは天候の問題であった。週末になると必ず天気が崩れる、それならばウィークデイにいけばいいと思い立ったが、僕のような暇人は他に見つからず、単独という事となった。赤岳西壁主稜は頂上へダイレクトにつきあがるカッコ良さに惹かれて以前から登ってみたいと思っていたルートだったが、先輩方と行くにはいまさらといった感じもしてしまい、結局いかずじまいだった。ここならば技術的には問題ないと思うし、外的危険も少なく、ノーロープ・単独というトレーニングにもってこいということで、まさに今の僕にとってピッタリのルートであった。

十時過ぎのバスで美濃戸口へ入り、南沢を経て行者小屋にはいる。正月に比べると雪の量は格段に増えてはいたがトレールがしっかりしているので、むしろ歩きやすかった。雲一つない素晴らしい天気、木漏れ日の中を歩いていると、英語を解するカモシカに出会う。「ハローハウアーユートゥデイ?」と声をかけると僕の顔をジーッと見つめるので、恥ずかしくなって「グッバイ」といって別れる。次にトレールの中を必死に走りまわるネズミに出会う。立ち止まって見ていると僕の足に這い上がってきた。びっくりして足を振り上げたら、まるで重さなどないように、ポトリと落っこちて駆け去っていった。テン場では小鳥が訪問してきたりと、独りの寂しさを感じさせない一日であった。なお、行者小屋の水場は埋まっており赤岳鉱泉まで水をとりにいった。

翌日、四時半起床、六時出発。八ヶ岳の西面は月光に照り映えている。放射冷却のため、非常に寒い。主稜へは赤岳沢を詰める方法と文三郎道の途中から右ルンゼに下降して側壁から取付くという方法があるが、今回は後者を選択した。右ルンゼに降りるタイミングだが、文三郎道の途中の鉄柵に赤テープが結んであるし、それが埋まっていても近くに遭難碑のような物があるので一目瞭然のはずである。しかし、その時の僕はそんな事を知らなかったので、かなり手前からうっすらと残っていたトレースをたどって右ルンゼに下降してしまった。おかげでルンゼ上部から降ってくるチリ雪崩やら小石やらをまともに食らう。降雪直後だったら危険だった。登攀準備をすっかり忘れていて、慌ててヘルメットを被りギアを身につける。ただしザイルはザックの中だ。取付いたのは七時ごろ。ルート図にはチムニー状の岩場とあるが、僕はどうやらその手前の凹角からとりついたようだ。しかしここにも残置シュリンゲやハーケンがあり、間違えというわけではなさそうだった。短いがW級ぐらいはあり、思わず残置シュリンゲをつかむ。そこを超えるとリッジが続いており、やがて凹状の小岩壁にでる、V級程度。その後はルート図では雪壁と書いてあるが、どちらかというと凍った草付きといった感じであった。ルンゼ状の草付きを超えると、右上していく岩壁につきあたる。ここは残置がたくさんあり直上する事もできるようだが右側から捲いていくのが本来のルートのようだ。テラス手前のシュリンゲの垂れ下がっている凹角が正しいルートのようだが、僕は行き過ぎてテラスを回った凹角から取付いた。ここには基部以外には残置がなかったのでどうも、完全に間違ったらしい。ベルグラが張っていてヒヤヒヤしたが、やはりV級程度で特別難しくはなかった。リッジ上に出ると風をまともに食らうようになる。技術的には問題ないが逆に恐く感じた。後ろを振り返ると青い空に真っ白に化粧をした阿弥陀が浮かんでいる。しかしこれだけの近距離から山の全貌を見渡せるということは、やはり八ヶ岳は小さいという事なのだろうか。リッジ上の登り易そうなところを適当に登っていくが、イマイチ現在地が把握できない。稜線は近いのだから上へ行けばいいという事は確かなのだが…?傾斜が次第に落ちてきて、飛び出したところは、なんと赤岳頂上小屋の目の前だった。主稜は直接ピークに出るはずでは…?しかし、ショルダーほど左寄りを登ったつもりはないし、どこか上部でルートを外れたとしか考えられない。確かに思い返してみると、どこも正規ルートは登っていない。うーん、僕は、はたして主稜を登ったのだろうか?どちらにしても、岩もおおむね安定しているし、登ろうと思えばどこでも登れるようなので、なかなか快適(?)なルートであると思う。稜線に抜けたのは八時。ちょうど一時間の登攀であった。ロープを使ったとしても岩壁部分は短いので、ほとんどコンテで登れると思う。二時間から三時間みておけば充分だろう。

(記・三苫)