1998年冬合宿 鹿島槍ヶ岳〜牛首尾根〜十字峡〜別山北尾根
1998年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
期間:1998年12月26日〜1999年1月4日

横山、中島、堀内、田中、永瀬

<12月26日(土)雪のち晴れ>
7:10 大谷原発
9;00 西股出合
14:20 高千穂平下―幕営
大町駅で富山県警の人にヤマタンを渡される。これの出番がないように気持ちを引き締め、タクシーに乗り込み大谷原へ向かう。道路には雪が無く橋の手前の広場までタクシーで入る。西股出合までは、ただひたすら歩くのみ。途中先行していた1パーティを抜かし出合のトンネルの中でもう1パーティと出会う。トンネルを抜けワカンを着け赤岩尾根に取付く。取付きは左にトラバースした奥の尾根で樹林帯の急登が続く。最初は3パーティでラッセル(膝位)するが他のパーティはどうも苦手な様でトップに立つと進みが悪く、うちのリーダーが何回となく横から抜こうとしていた。こういう状況なので途中からは、昭和の5人でラッセルをし、ルートを作り高度を稼ぐ。昭和が休むと他のパーティも休み、“ラッセルはしません”って感じだった。一か所ルートを間違えて木登りする。(本来のルートは右から巻く)14時20分、高千穂平まであと30分位だけど風が避けられないので樹林帯で幕営。(他の2パーティも幕営)

<12月27日(日)快晴>
6:30 幕営地
7:00 高千穂平
11:00 2488m
11:40 冷小屋
14:50 南峰
15:20 牛首尾根2600m−幕営
今日は右手に田中がぶらさがっていた東尾根を見ながらの登りだ。ラッセルは相変わらず昭和の5人でするが、休んでいるときに社会人パーティの一人が「急いだってトータル的に時間は変わらない」と言って通り過ぎた時は“ラッセルしてくれ”と思ったが、すぐ上で休んでいるのを見て呆然としてしまった。樹林帯を抜け、痩せ尾根の右側を通ると最後の雪壁に出るが雪がまだ定着してなく岩肌が出てくるのでロープを使う(1ピッチ)その先はフリーで登り稜線に出る。(雪屁の張り出しはない)鹿島槍南峰までトレースがあるが、牛首尾根に入った途端またもラッセルの始まりだ。風の当たらない所を探し幕営。

<12月28日(月)快晴>
8:00 幕営地
9:00 牛首山
10:30 2300m
12:15 1849m
14:00 1476m
16:30 1300m−幕営
外は風が強く、ガスっているので出発時間を遅らせる。棒小屋沢側の雪屁に気をつけながら牛首山の登り返しをラッセルしていると、天気も回復し汗ばむぐらいだ。2302mのピークは右から巻いて一休みする。この時に携帯電話で阿部さんに電話してみると、朝食の準備中との事(かに雑炊)。戸隠パーティは、今晩市川さん宅に集まり朝一で出発するそうで、お互いの健闘を祈りつつ電話を切った。 しばらく降りると、樹林帯に入りルートが解りづらいが、2061mの赤布を見付けて左に行き、暫くしてから右の尾根に移り下降して1849mのピークが見えてきたら右手の沢地形から回り込む。後は十字峡を目印に下るが、視界が効かないと迷いそうなルート。16時30分、十字峡まで行けずに幕営。

<12月29日(火)晴れのち霰のち雪>
7:30 幕営地
9:20 懸垂点
10:00 十字峡
12:40 1020m−幕営
今日は、ついに第一関門の十字峡だ。下降していくに連れて黒部川が姿を現す。見た感じ水量は少なそうだ。懸垂2ピッチ(25m、50m)。そこから右手に下降すると河原に着く。(ワイヤーロープより10m下流)水量は見た通り少なく、皆で渡渉ポイントを探した結果ワイヤーロープより上流15〜20m位の場所が、流れはきついが膝位で渡れそうなのでこの場所に決め、ザックの置いてある場所に戻る。レーションを食べ、たばこを吸って気合いを入れ、渡渉の準備にかかる。中島さんは「フィックスロープを張るって言うから来たのに・・・嘘つき。」と言いながらズボンを脱いでいる。11時渡渉を始め、一人ずつロープは付けずに渡り11時20分に終了。水はかなり冷たく、途中で立ち止まると足の指先が痛くなるので多少バランスを崩しても一気に渡った方が楽だ。しかし12月にパンツの上にカッパを着て、靴はアイゼンを着けたアウターにスパッツで、笑いながら渡渉してるバカなパーティに黒部の女神は微笑んでくれるのだろうか? 登り返しは雪が付いているのでそのままワイヤーロープが張ってある岩場を登り、日電歩道に出る。本来ならまだ上に上がり懸垂で吊橋に降りるが、見た感じ行けそうなので行ってみると吊橋に出て、12時40分幕営しデポを回収。今晩で酒が無くなるが、二日我慢すれば三日目にはハシゴ谷のデポの焼酎が飲めると楽観して眠る。この時に北尾根でハマるなんて誰が考えていただろうか。

<12月30日(水)雪>
8:00 幕営地
10:30 電波中継所
16:30 1500m−幕営
昨晩から雪は降り続いているようで30cm位積もっている。そんな中を出発する。少し登った所にルンゼがあり、本来なら右にトラバースした尾根を登るが、雪崩の危険があるので左に逃げる。トラバースして木の陰で休んでいると、トップ中島さんから「倒木で歩きずらいから直登できればした方がいい」と声がかかり、気の間を登るが雪の下から岩肌が顔を出し、腕力任せの木登りになる。早く中島さんのいる左の尾根に合流しようと思うがなかなか行く場所がなく、何回か木登りをした後に尾根に出たが、誰もいなくて心配なので、下を見ていると中島さんが来たのでそのまま登り出す。露岩に赤丸と矢印を見付け基部を左から巻き雪壁を左上し尾根を登ると中継所に出る。その後も樹林帯の急登が続く。ラッセルは腿位。16時30分、適当な場所を見つけ幕営。明日、先頭はから荷でラッセルすることを決めて寝る。

<12月31日(木)雪>
8:00 幕営地
13:20 1750m−幕営
雪が降り続いている中を出発する。樹林帯の急登を日に日に深くなるラッセルをして抜けると、顕著な尾根地形に出る。ここからトップは空荷のラッセルをするが思うようには進まない。雪壁では目の前の雪を落として一歩ずつ上がるが、雪面がどんどん高くなり頭の上から雪を落として行くようになる。しかも古いザラメ状の雪の上に羽毛のような新雪が乗っかっているだけなので崩れないことだけを祈りつつラッセルする。 1750m、コルを抜けて幕営地探す時間がないのでここに幕営することに決め、幕営班と偵察班に分かれる。痩せ尾根に一本フィックスを張り、その上の雪壁にトレースをつけるが明朝には消えているだろう。

<1月1日(金)雪>
8:00 幕営地
14:10 1980m−幕営
今日も雪。積雪は1m以上になるが全く止む気配はない。
昨日張ったフィックスを雪から掘り出して登り、空荷のラッセルだが腰上まで没し、ほとんど泳ぐ感じだ。一本フィックスを張り暫くすると、右に伸びた雪稜に出る。尾根をラッセルして行くと、小ピークがきのこ雪とナイフリッジで繁った場所に出て、その先がコルになっている。稜上にロープを伸ばすが最後が下れず剱沢側にクライムダウン15mをしてトラバースしコルに至る。登り返しは広い尾根上の急登をラッセルあるのみ。
14時10分、壁尾根との合流点手前に幕営。
夜、地図にポイントを落としてみると、1日3cm位しか進んでいない事が分かる。無理もない。高度差で1日200m位しか進んでいないのだから。しかも食糧と燃料の底が見えてきた。予備食に手を出すが、明日の朝食は蕎麦が2つだけだ。

<1月2日(土)風雪>
6:45 幕営地
9:00 別山のコル
13:30 北峰
15:00 中央峰手前−幕営
テントを撤収している間に、一人は先行して空荷のラッセルに行く。今までより傾斜がない分気持ち的には楽だが、腰上のラッセルは辛い。雪原を右上気味に登ると、やっと、壁尾根との合流点に着き、ここから右に伸びる尾根を行くと別山のコルが見えてくる。コル手前のナイフリッジに一本フィックスを張るが、尾根通しには下れず剱沢側にクライムダウン(30m)をして基部をトラバースしコルに至る。登り返しは岩の基部を左から巻きブッシュ混じりの急な尾根に取り付き高度を稼ぐ。次第に傾斜が落ちると広い雪面に出、稜線が見えてくる。雪屁の張り出しは小さく難無く越え、稜線は右側の樹林帯にコンタクトラインをとる。
夕食で食糧が無くなり明日の朝はレーションとお茶のみ。23時と1時に除雪。

<1月3日(日)風雪>
7:30 幕営地
9:30 ハシゴ谷の分岐
12:50 ハシゴ谷乗越
14:50 内蔵助平―幕営
今朝お茶を沸かし、ついに燃料もなくなった。何としてでも今日中にハシゴ谷のデポまで行かなくてはいけないが、今まで以上に天気が悪く視界が効かない。中央峰には樹林帯にコンタクトラインを取りラッセルをする。視界が効けばハシゴ谷尾根が見えるのだが今日は無理だ。中央峰を越し、しばらくすると左に尾根が曲がる。そこに右の樹林帯にハシゴ谷尾根がある。分かりずらい尾根だ。後はひたすら尾根づたいに高度を下げ二股に分岐している所を左に行き(右尾根の方が顕著)、ハシゴ谷に着く。必要な分のデポを回収し、内蔵助平を目指す。14時50分、幕営。5日ぶりに酒を飲む。

<1月4日(月)雪>
7:15 幕営地
9:35 丸山
10:45 出合
14:00 黒部ダム
16:00 扇沢
17:30 日向山ゲート
夏道より沢沿いを歩き過ぎたため、沢を渡るのに多少登り返し渡るが、T君は十字峡の横断で沢が好きになったみたいで、一人沢の中で遊んでいる。丸山東壁の周辺は何か所か雪崩危険地帯を通るので、一人ずつ離れ上を気にしながらラッセルをし、出合まで下りてくると、8日ぶり(牛首に入ってから)に他のパーティに会う。しかもダムの方からここに来るって事はこのラッセル地獄から抜けられると一同大喜びするが、ツボ足でしかも歩幅が広すぎて余計に疲れる。最後の急登を登りトンネルに着く。(記;堀内)

十字峡パーティよりひとこと・・・

今回の合宿は、ここ数年の冬合宿の成果を試す合宿と位置づけしたものだったが、結果としては、厳冬の黒部の前では成すすべなくこてんぱんにやられた合宿であった。
12月26日入山し29日までの好天気に予想以上の日数を消化してしまい、30日からの悪天候で一層厳しいものとなった。ルート的に見れば格段難しいものではないが、一度谷に下りたら簡単にはエスケープ出来ないプレッシャー、強い冬型によるドカ雪など進退極まるだけに、強い体力・精神力、的確な判断、技術などが要求される。
近年、暖冬、貧雪にと言われているが、ひとたび降り込まれれば、そこは黒部、どうにもならない。ただじりじりと進むのみ。一日たかが200mが目一杯だ。黒部・剱ではルートの完登が全てでは無い。一日一日、全力で雪と格闘し、雪と戯れる。その中から生まれる充実感がたまらない。
いつの日か冬の女神が微笑む時、剱を越えさせてくれるだろう。その時まで岳人は血と汗と涙を流し、時には酒を飲み、精進しなければならない。(記;横山)

冬の黒部は甘くない・・・
そもそも今回の計画の発端は、12月の十字峡を渡渉しようというバカバカしい発想から生まれた山行で、賛同者もそんなにいないと思いつつとりあえず旗を振ってみたのがきっかけだった。その後の経過は集会に出られなかったので分からないのだが、最終的に十字峡〜別山北尾根〜源次郎尾根に決まり、継続する上で技術的には楽なルートだと思ったのだが・・・
いざ蓋を開けてみると、「もう解りました」と叫びたくなるぐらい黒部雪山を痛感した山行になったのだが、それ故に得るものも多い合宿になったし、今後行きたいルートや山域(別山周辺)も見えてきたのでその辺を念頭に置いた山行を作りたいと思っています。
反省点は、一日一日自分の事だけで精一杯で、周りを見たり考えたりすることが出来ず中島さん、横山さんに頼りすぎSLとして何も出来なかったので、今後の山行の中で自分自身に余裕と自信が持てるようにやっていきたいと思います。(記;堀内)

うーむ・・・。なんとも味わい深い10日間だった。一ヶ月前からの緊張は、下山し帰宅してからも数日続き、交感神経は興奮しっぱなしだった。
それにしてもこの長大なルート、今思うと気が遠くなるが、黒部ははやりスゴイ所だ。本での知識、体力、集中力だけではとても太刀打ち出来ない。やはり経験から得た、ルートを読む眼、雪上技術etc・・・全てのものが必要であると実感した。常に“自分だったらどうするか”“この人がこうする意味は何なのか”考えながらやることが大切だと思う。そうすればおのずと力はついてくるんではないかな。黒部・剱がいつかオイラの庭になる日が来るのでしょうか?
あ〜、10日ぶりに思い切り食べて、飲めて、アツ〜イお風呂につかれたあのフワフワした感覚は一体何なのでしょう!?(記;永瀬)

今回の合宿は、みんなについていくだけで精一杯だった。
何年後かに自分の力で剱まで行ってみたいものだ。(記;田中)