バフィン島(カナダ)トール西壁West Faceルート
2007年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
期間 2007年7月4日から2007年8月4日
7/10ベース設置。fix7/15、goup7/17から7/23第2バンド(最高到達地点)7/24取付き地点に下山。7/26ベースに荷下げ完了。7/29ベース撤収。
登攀者:米田渉(単独)

■きっかけ
1991年のダウラギリに参加したが落石に巻き込まれほとんど登山することなく下山するはめになったのがきっかけで、1992年、1993年とヨセミテに通いビックウォールにトライした。このとき初めてソロ登攀を行い、タンジェリントリップ(A3)、ゼンヤッタメンダータ(A5)を登ることができた。また、キャンプ4で出会ったクライマーには影響を受け、特に同じくソロクライミング志向の阿部剛とは次は極地のビックウォールだよねえ、パタゴニアかバフィン島かなあと話をしていた。その後、私は就職をしてしまい想いはあれど、クライミングに時間がとれない日々が続いていた。一方阿部さんはソロクライミングの技術を高め、望みをかなえ1996年、1997年とバフィン島のトール西壁の新ルートへトライしていた。しかし彼は1997年のトライ時にヘッドウォールにて墜死してしまった。自分は彼との約束を果たしていないことがとても気になり、2000年にバフィン島に2週間で偵察(トレッキング)に出かけ初めてトール西壁を見ることができた。しかし、仕事を休めるものなのか本当に行けるのか難しいのではと思い、その後もぐずぐずと日を過ごしてしまっていた。仕事も楽しかったのも事実である。だが、その楽しい仕事の過労でうつ病を患いクライミングどころか日常生活もまともにできない月日を送るはめになってしまった。このとき、人生でやりたいと思ったことは絶対やらないと後悔してしまう、病気を治したら周りの迷惑かまわず、バフィン島に行かねばと思うようになった。
病気もなんとか癒え、クライミングを再開してからも気持ちは常にバフィン島であり、無理やり休暇をとりバフィン島に向かうことにした。

■装備
ナイフブレード20本、ロストアロー20本、アングル15本、コパーヘッド20個、フック各種、カム3セット、ホールバック大、中、ポーターレッジ、ボルト60個、水21リットル、食料全日程60食分、壁の中26食(13日)分、ロープ60m×4本、ホーラー×1、MSRインターナショナルをハンギングストーブに改造、燃料全日程4リットル、壁の中2リットル

■アプローチ
トールがあるアユトゥイーク国立公園の入り口はパンナータン村である。オタワ、イカルイット経由でファーストエアを使って、着くことができる。荷物はホールバック3つに50リットルザック1つ。阿部の記録では飛行機が小さく荷物がパンナータンに届くまで時間がかかったりしていたようであるが、2007年では結構大きな飛行機も就航していて、かつ完全にオーバーキャリーであるのに運んでくれたりして自分と一緒にすべての荷物を持っていくことができた。しかし、公園の管理はしっかりしてきたようで、ヘリで荷上げをあわよくばと思っていたが基本的に無理になっているようだ。現地のアウトフィッターに前もって交渉してもらうなどしなくてはならないだろう。パンナータンから公園入り口まではアウトフィッターのボートで運んでもらう約30k、1時間である。極地は干満の差が激しく満潮時刻に合わせて船を出すことになる。予定では40k超×3に荷物を詰め替え運ぶ予定であったが、重すぎと深いところでひざ上になる渡渉6から7回あり厳しいため、30k×4に詰め直しをした。それでも山野井さんたちが1週間くらいかけて荷上げしたところを4日でやったので1日12時間行動などになり、非常に体力的に辛かった。2000年のときに1日でトール西壁前まで行けたのを過信しすぎていたせいで、計画に余裕がなかったのである。
7月は、完全に白夜のシーズンである。それでも午前4時位は冷えがくる。気温は0度以上10度くらいという感じである。

■登攀
ベースを水場の近くに設置。休むことなく荷上げを行う。第1バンドまではアプローチになるが、ルーズなガレ場で壁からの落石も多く非常に怖い。レスト1日を含め4日かけて取付きまでの荷上げを行う。
最初はMidgard Serpent(A5)を狙っていたが、Parks Candaの事務所で言われたとおり壁は非常にルーズで危険であり、また、Midgard Serpentは最初の3ピッチが前傾しており、敗退すると壁にロープを残置してしまうため(実際に2ピッチ終了点からの敗退ロープが残っていた)、あきらめ、敗退できるWest Faceにすることにした。West Faceは日本人が70年代からトライしていたため、RCCUやリングボルトがあったが、ほとんど落石で頭が折れており、非常に悪い。ピッチを減らそうと60m伸ばす作戦のため、終了点は作成することなり、ボルトを打つが、1本打つのにペツルの歯を2本潰すことになりとても時間がかかる。また、かぶっていない壁のため荷上げに苦労することになる。2ピッチ目は荷上げが大失敗でリードを含めて18時間かかるはめになってしまった。3ピッチ目も人よりも大きい岩が乗っているだけのところがあり、また、タワーに上がりきったところもぐずぐずのガレ場状態で、ロープを守るため気を抜くことが全くできな。Goupから2泊目でタワーにポータレッジを設置した。ここからジャパニーズ・ボルトラダー(A4)となっている。ペースを伸ばせるのではと期待したが、最悪であった。リングボルトのあとバットフックが2から3回続いて、という感じなのだが、ボルトが落石で折れかけているのが多く、非常に怖い。バットフックにはリーパーポイントフックが活躍した。ポーターレッジを設置した上に乗っているだけのような岩があるのがわかるがどうにもできない。35mくらい伸ばしたところでバットフックに乗っていたら、バットが外傾しているためスカッと外れてしまい、フォール。下のスタンス上レッジ右足が掛かってしまいぐにゃっとなる。約3mの墜落。悪いフォールだ。右足ねんざしたな、折れてはいない、落ち着けと思う。植村直己が犬ぞりのとき、何が起こってもあわてずまずお茶をすることをイヌイットに習ったと書いているのを思い出す。落ち着けまずメシを食おうと行動食を食べて気持ちを落ち着かせる。足は痛いけど大丈夫だ。ユマールして戻り、左側の細いクラックにロックス1番で気持ちプロテクションをとり、再度フック。今度は荷重をかけるタイミングでフックの頭をハンマーで叩いてから乗り込む。次がないため今度はRPをハンマーでたたきこんで乗り込む、バットの穴があったが完全に外傾しており使えず、また不安定なロックスに乗り込む。その次がバット穴にコパーを叩き込んであったが、ワイヤーが半分くらいしか残っていなくて、どうしようかと思っていたが、一応エイダー掛けてバウンステストしてみたら大丈夫そうなので乗り込む。その上はまあまともなリングボルトがあった。約50m。その上はダートラインで岩がぐずぐずのようなのでここでピッチを切ることにした。リングボルトをはさんでペツルボルトを2つ打つ。16時。ホールバックを1つだけスペースホールを試す。今まで全然うまくいかなくて苦労していたが今回は成功。しかし、末端を外していなかったので、途中で登り返しをすることになってしまう。ギアを背負ってユマール。18時。次のピッチもA4だから4時間はかかるなあと思っていると雨が降ってきたので今日は1ピッチフィックスで下降。20時ポーターレッジへ。痛み止めを飲む。
次のダートラインのピッチものっけからのったリングボルトがほとんど取れそうであわてて左にフックしたら、ボルトの首が軽くもげてしまう。その上も何もなく、しばらくフックが続きそうなので、仕方なくボルトを打つことにする。1/2くらいの浅打ちでビットを入れる。それからフックムーブが6回続いた。6回目のフックのときにはさすがに怖くて、フックポイントの近くにコパーとバードビークを打つがほとんど気休めにしかならなかった。その上はおじぎしたRCCU、それからはなぜかリベットがポチポチ出てくるが、割れているのが多く安心できない。周りはぐずぐずでフッキング、ネイリングも何もできない。下手すると落石してしまう。終了点らしき手前が水流のところで何もない。浅打ちのボルトからフックして、フリーに入る。エイリアン黄色、ブルーを仕掛け、それからフリーの悪い体勢でスタンスに乗り込んでボルトまでもう少し。フックポイントを見つけエイダーに乗ってリングボルトに手がかかるところまで来て、こんなフリー二度としたくないと思って、足を整えようとしたら、パンとフックが取れて、フォール。「どこでとまる!」と叫んでいた。エイリアンは2つともスパッと抜けて、米国製の浅打ちボルトも抜け、なぜかまた浅打ちのリングボルトで止まっていた。墜落は約7mくいらいか。今回はどこにもあたらずよいフォールであった。しかし二度としたくないフリーのところなので気落ちする。なんでとにかくエイダーを先に掛けなかったのだろう。ユマールして戻り、抜けたボルトの隣にペツルボルトを1/2の浅打ちで、そこからすこしフリーで、エイリアンのところをアングル打ってエイダーを掛ける。その上にさらにアングルして、最上段のさらに上まで立って、リングボルトへエイダー。ここは水流のところなのでさらに伸ばすことにする。このときから雨になり、45mくらいまで伸ばしてペツル2つでアンカー。22時。荷上げのセッティングをして戻ったのが夜中の1時前。
翌日は2ピッチのホーリング。20時にはポーターレッジを立て終える。次のピッチで第2バンドまで着く予定である。しかし悪い。フック、ボルトというラインなので、ボルトがダメになっているとどうしてもドリリングするはめになってしまう。途中に敗退シュリンゲを発見。しかし大昔のようである。最後にランぺへのフリーの部分になる。立ち上がったらもう戻ることはできない。どれもルーズな岩が上にもトラバースする先にもあり、動けなくなりパニックになりそうになる。パニックになるな、できる。考えろ、落ち着けと言い聞かせる。しばらく留まっていたが、ムーブを見つけ、落とせない自分大のルーズな岩を回りこんで18時バント着。フリーの部分で1時間くらいかかったみたいだ。アンカーを設置。60mいっぱいいっぱいであった。ここもボロボロである。ペツルボルトがあるのだが、落石があったのだろうビナをかける部分がまっ平らになっている。ロープを外してバンドをトラバースして、阿部さんの痕跡を探す。リングボルト、リベット、を発見。たぶんこれだろうなと思う。ちょうど雲がとれて風景がとてもきれいである。バレーの上はアイスキャップがかかっている。すごいところに来ているなあと改めて思う。トールは本当にルーズ。ボロボロだ。アメリカンエイドとは違うビックウォールだ。山野井さんのルートとの合流点まで行きたかったが、第3バンドまではもう1週間はかかりそうである。時間的に無理である。帰ろう、生きて帰ろうと思った。山野井さん、阿部さんはすごいです。写真を撮り、下降を開始する。シュリンゲ2つとビナを1つ残置して22時ポーターレッジへ。明日から下降である。ビックウォールは敗退の方が難しいので考えて降りないと。1ピッチ下ろすのに2、3回登り直しをしないといけない。

■下降
次の日は、タワーまではハーネスのレッグループにシュリンゲ掛けてホールバックを股に挟む格好で、下降する。タワーから下のピッチは、落石が怖いので背負って下ろすことにした。重く、のけ反らないようにするため腹筋を使い筋肉痛になる。平均1ピッチ2回の荷降ろしで21時取付きまで荷降ろし完了。疲れきって食料も当日分は食べきってしまっていたので普段の2倍もかかって午前1時半にベースに帰る。疲れきっている。 翌日はレストとするが、まだ生きて帰った気分ではない。荷物が取付きでそこから安全地帯にはあと2往復荷降ろしをしないといけないのだ。 回収日も18時までかかって安全地帯にすべてを撤収する。雨が降る。 食料を計算すると公園入り口まで戻るギリギリの食料しかないようである。 100k以上の荷物を4日間毎日12時間行動で下ろす。水量が増えているようで渡渉が行きよりも厳しくなっていて怖いくらいであった。最後の最後まで大変であった。

■反省
今回は、荷上げをスペースホールすることを考えていたがほとんどできなかった。戦略が甘すぎた。ポーターレッジはブラックダイヤモンドのダブルを使った。快適だが10kと重く。ソロには向いていなかった。
カプセルスタイルを軽視したが、しかし、荷物はカプセルスタイル並みと矛盾していた。カプセルスタイルならスタティックロープが120mくらい、複数のホーラーがほしい。
1日1ピッチ。これはいろんな要素がからんだ。スペースホールができない。重いギア、レッジを背負ってユマール→ユマールが遅くなる。ホールを2回に分ける→ホーラーを1つしか持っていかなかったのでロープワークが煩雑になり、と時間がかかりすぎてしまう。

■感想
トール西壁の1/3までしか登れなかったので、記録的にはほぼ意味がないが、自分の中では重要な登山であった。
僕はThorに挑戦し、6pich、9日間登り、敗退したけど生きて帰った。
僕は僕に負けなかった。20代の夢を現実のものとするために、自分と対話をし、待ち、がまんして一歩一歩前に進んだ。
結果はこうだったけど、この10年間止まっていた歯車を回すことができるのだ,次へ行こう。