2000年夏合宿・前半 甲斐駒ケ岳・摩利支天継続登攀 (サデの大岩左フェース〜中央壁下部独標〜上部ジェードル)
2000年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
                           2000年8月1日〜6日
                           久留島、安西、三苫

8月1日(日) 北沢峠〜摩利支天取付

仙水峠14:50着。突然目の前に白亜の花崗岩の塔が姿を現した。摩利支天だ。空を覆っていた雲が途切れ、青空に白く輝いている。すごい存在感。まさにビックウォール。  峠で登山道を離れ、沢に下降。最初は明瞭な踏み跡があったが、突然なくなってしまう。しばらく迷うが、ガレ場を通って一時間ほどでまた踏み跡に戻る。天気は下り坂。踏み跡が不明瞭なのでザックを置いて何度も偵察を繰り返す。18時過ぎ摩利支天前沢にでた。サデの大岩が目の前にある。沢をつめて岩壁の基部に立つ。今晩の寝床の岩小屋を探すうちに、雨が強くなり、岩を伝い落ちた滝に打たれる。19時、目的の岩小屋は見つからない。諦めて沢のすぐ横でビバーク。久留島さんの左手30cmには水がちょろちょろ流れていた。

  8月2日(月) 取付〜左フェース

 全身びしょぬれで二日目の朝を迎える。朝から1人1合の飯を食って5時に出発。20分ほどでロープを出す。初め左に行き過ぎてしまい、戻ってやり直し。安西さんが50mいっぱいロープをのばす。中間支点は自分で打ったハーケン1本。セカンドなのに冷や冷やする。いよいよ垂直のボルトラダーが始まる。数m登り、生まれて初めて自分でハーケンを打ってみたが、アブミに体重をかけたとたんに抜けショック。草をかき分けて残置を見つけラダーをたどるがまた手の届く範囲にピンがなくなり立ち往生。ロア―ダウン。 しかし、どうやらここは予定の左フェースではなく、泉州ルートであることが発覚。ルートは予想以上に右によっていた。  僕はガックリしてルート工作は2人に任せ、岩小屋で休んだ。やがて雨が降ってきて、二人はげんなりとして帰ってきた。1ピッチフィックスはしたものの、今日はここまで。

8月3日(火) 左フェース〜第三バンド

 昨日、久留島さんがフィックスしたロープをユマーリング。ザックに詰め込んだ8リットルの水のせいでペースが上がらない。次から、水の入ったザックは交代でセカンドが持つことになった。アブミビレイで2ピッチ目は安西さんのリード。人口登攀は初めてなのにとてもうまい。重荷を背負った久留島さんは、ヒイヒイ言いながらハングを越えていった。僕も、クリーニングがうまくできずヒイヒイ言う羽目になった。  3ピッチ目は核心のA2。久留島さんのリード。「体力は使うけど難しくはない」そうだ。再び慣れないアブミビレイで、大地が恋しい。  三番手で登った僕は、そのまま次をリード。ボルトラダーから段々茂みが濃くなると、危ういフリー。第三バンドに着く。花がたくさん咲いていて綺麗だ。  ここから、草につかまっての大トラバース。コケでぬるぬるの岩場を久留島さんが、アブミ残置で越えていく。リードを引き継ぐが、どこがルートだかはっきりせず、僕はすっかり迷ってしまう。草に引っかかり重くなったロープを引きずりながら、何度も行ったりきたりするが精神的に疲れてしまい、ビレイポイントに逃げ帰り、リーダーにルートファインディングを任せる。  いつのまにか、ロープの色もわからないくらい日は暮れて、おまけに顔中に細かい虫がたかり始めた。気が狂いそうになりながらも、何とか眠れそうな岩小屋が見つかる。  ここまで時間がかかりすぎているので、夕食は半分にする。セルフビレイをとって、半身落ちながらシュラフカバーにもぐりこむ。遠くに街の光が輝く。

8月4日(水) 第三バンド〜中央壁下部独標ルート

 朝、水筒の水がなくなる。ビレイポイントの下で沢を見つけ、久留島さんが懸垂してとりにいくが、流れが小さすぎて手に入らず。がっかりする。喉はカラカラだが、ひたすら潅木を漕ぐ。水の音を頼りになおもトラバースすると、やっと広い沢に出た。夢中で水筒を満たす。  どうやら、摩利支天東壁基部の前沢のようだ。東壁はすっきりした壁だったが、時間切れでカットするしかない。予定を変更して、南山稜から真っ直ぐ中央壁に向かう。  取付き下の涸れ沢をビバークサイトに決め、久留島さんと僕で1ピッチフィックスしに行く。独標ルート1ピッチ目。久留島さんがかぶった凹角を人口で越える。すぐに姿が見えなくなる。ビレイをしながらウトウトしていると、鼻先に水滴が落ちその瞬間静寂は乱された。 バケツをひっくり返したような大粒の雨。閃光。久留島さんの悲鳴が聞こえる。訳もわからずロープを繰り出す。首筋に何かがぶつかる。それが雨で流されてきた落石だとわかると、慌てて頭をハングの下に突っ込んだ。久留島さんが、嵐に翻弄され、悲鳴を上げながら降りてきた。安全なハングの下に2人で避難する。雨は一向に止む気配を見せず、一抱えもある岩が次々と目の前を落ちては、岩をえぐっていた。 1時間で雨が上がったので、安西さんを探しにいく。安西さんは無事だった。落石を腕に食らったものの幸い怪我はなく、すぐに安全な岩陰を探し、3人分の荷物を避難させてくれた。夕立に対して、僕らは不用心だった。それでも、損害が、水筒1個、コンデンスミルク1本(ともに落石で破裂)、ツエルトの袋だけですんだのは、奇跡的だった。 窮屈な岩陰で、寒さに震える一夜を過ごす。

8月5日(木) 中央壁下部独標ルート〜上部ジェードルルート

朝食、最後のインスタント麺をみんなで回してすする。幸いフィックスしたロープは無事だった。空はすっきりと晴れ、仙水峠が見える。おまけに、登山者の声も聞こえる。久留島さんは昨日の出来事で登攀意欲をなくしていて、安西さんがリードする。悪いチムニーを抜け、樹林帯に入る。 中央壁上部は、ジェードルルートへ。1ピッチ目、僕がリードする。途中までエイドで楽に登れる。7mくらいの所でピンがなくなり、残置スリングにアブミをかけ体重をうつす。岩にはボルトの抜けた穴があり、隣のドロの詰まったクラックにロストアローを打つが、クラックが浅く最後まで入らない。タイオフをしようとギアラックをさぐったその瞬間、スリングが切れ、僕は落ちた。 ビレイをしていた久留島さんの顔が真横にあった。5,6mは落ちたようだ。アブミをかけていた左足に鋭い痛みがある。どうやら捻挫したらしい。横になれる所までロアーダウンで下ろしてもらい、安西さんにテーピングをしてもらう。 12時過ぎ、安西さんがここをぬける。また、雷鳴が聞こえてきたので焦りを感じるが、とにかくここまできたら壁を抜けるしかない。僕は、ユマーリングに徹する。更に1ピッチ、16時に壁を抜ける。 さあもう安心と思い、白ザレの緩傾斜帯に1歩踏み出すと左足首に激痛が走り全く歩けなかった。肩を貸してもらってもダメで、2人がロープをはってくれ僕はユマールでなんとかずりあがっていった。雨に濡れ、何度も転び、激痛に悲鳴を上げた。 山頂直下に不要なものはデポし、一般登山道を下りだす頃、夜になった。ヘッドランプも失った僕は、二人の照らすわずかな光を頼りに、ゆっくりと足を運んだ。夢うつつの中、僕は二人にすがりながらほとんど眠りながら歩いた。 仙水小屋のテント場についたころはもう朝で、登山客が次々と出発していく中、やっとテントに入った。

追記
8月6日は飲んだくれて一日を過ごし、翌7日に僕は二人に付き添われて北沢峠に下山した。小屋のおじさんには薬を頂いたり親切にしてもらった。久留島さんと安西さんは甲斐駒に戻り、予定の登攀を続行した。足の怪我は思いのほかひどく(捻挫でなく、骨折だった)、手術と二週間の入院生活、おまけに十代最後の夏休みを不意にする結果となってしまった。ああ、青い海が…

                                 (記、三苫)