北アルプス・前穂高岳北尾根
2001年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
2001年4月19日〜21日
三苫 育

北アルプス・前穂高岳北尾根 4月19日、上高地に入るバスは明日20日からの運行なので、特急バスの松本・高山線で中の湯まで行き、釜トンネルを独り黙々と歩く。今年の冬は冬壁五本などと意気込んでいたが、結局まともに登れたのは大同心ぐらいで、あとはことごとく敗退を繰り返してしまった。たしかに天候の問題もあったのだが、どちらかというと壁に取り付く恐怖感を取り払うことができなかった所に敗因があったと思う。この恐怖感を克服するには壁に取り付くしかないということは解かっていたが、先輩方と行くとどうしても精神的に頼ってしまい、妥協してしまう自分がいた。「単独」というスタイルには憧れているが、自分にはまだ壁を独りで攀じる能力はない。そこでまずはクラシックルートというのを独りで体感してみようと思い立った。穂高にはヴァリエーションルートどころか、夏の一般道からも登ったことがなかったが、北尾根のギザギサの魅力的なスカイラインを一目見た瞬間から「ここしかない!」と心に決めていた。北尾根は冬季においては慶応尾根経由で末端から取り付くのが一般的だが、四月を過ぎれば涸沢から上半部に取り付くことが可能なので今回はこの方法をとることにした。

 河童橋周辺は明日からの観光シーズンの準備にせわしなく人や車が行き来していたが、明神池を過ぎるとパッタリと人がいなくなってしまった。横尾まではブルドーザーでトレースがつけられていたが、それ以降は随分とふるい足跡を時々見かけるだけとなった。照りつける太陽で雪が腐り、脛ぐらいまで埋まる。屏風岩の大きさに圧倒されながら歩を進める。涸沢まで三時間ぐらいでつくものだと思っていたが、雪崩を恐れて斜面を迂回したりしていたら結局五時間以上もかかってしまった。穂高の姿を見る頃にはもうすっかり日も暮れてしまっていて体力的にも限界がきていたが、上の方から人の声が聞こえてきたような気がしたのでそれを励みに歩きつづけた。深い青にそまった圏谷にポツンと光る灯りは、たしかに幻覚ではなく、涸沢小屋の灯火だった。やっとの思いでそこまで這い上がり、ガラス戸を覗くとテーブルを囲んで大勢の人間が談笑していた。扉をたたくと皆びっくりしてこちらを振り返り「ナニモノダ」と声をかけてきた。わけを説明すると中に入れてくれたが、オーナーに「素人が独りで来るところじゃない」と怒られてしまった。北尾根に行くことを告げると「即刻中止して帰るべきだ」「死ぬぞ」とのことだった。確かに真昼間に雪崩の巣を歩いてきたのはまったくの無知だったなあと反省する。とりあえずその晩は小屋の前にテントを張らしてもらい、死んだように眠った。  

  4月20日、本来は今日の早朝にアタックするつもりだったが、あまりにも疲れていたし、こっぴどく叱られたばかりだったので中止とする。昨日は涸沢ヒュッテを見つけることができなかったが、どうやらヒュッテの方にも人がいるようなのでそちらに移動することにした。どちらの小屋もまだ営業はしていないが、大勢の人がいて小屋開けの真っ最中だった。ヒュッテのほうでは今年初めてのお客ということで歓迎される。今日はじっくりと体力の回復に努めて、明日の朝アタックすることにするが、あまりにもお天気がいいので惜しいことをした!と悔しがることになった。午前中に五・六のコルのしたまでトレースをつけておいた。   

   4月21日、アタック前の緊張感で眠れないかと思っていたが、結構眠ることができた。一時起床、二時半出発。新月、暗闇の圏谷は星空に覆われている。気温は放射冷却のためか、かなり下がり水筒の水が凍りつくほどだった。アイゼンが気持ちよく効いてくれる。昨日つけたトレースがヘッデンの光に浮かび上がる。月のない夜は想像以上に暗く、トレースをつけておいて正解だった。五・六のコルに三時半着。闇の幕をおとした北アルプス南部を眼下に見下ろす。五峰は黒く巨大な塊となって僕の前に聳え立っている。風のあたらない岩陰に身をひそめて明るくなるのを待つ。四時、まだ明るくならないが、寒くなってきたので出発することにする。五峰は快適な岩稜と雪稜のミックス。夏のフィックスロープと思われるものが、涸沢側の斜面に所々顔を覗かせていたが、稜線どうしにいくのが楽だった。    

   四・五のコルに四時四十五分着。だいぶ明るくなってきたのでヘッデンをしまう。東の空は一瞬赤く染まったが、すぐに灰色になってしまった。眼下には妙に平べったく見える上高地が広がり、その回りを墨絵のような山々が囲み、さらにその回りを雲海が囲んでいる。天気は今日の午前中まではもつはずだ、自分を落ち着かせて四峰の登りにかかる。四峰の稜線はいかにも悪そうな岩稜がつづいているので早々に奥又白側の雪壁に移る。かなり傾斜があり、スリップしたら致命的だが、気温が下がったおかげでアイゼンもピッケルもしっかりと効いてくれる。四峰の頭の少し下あたりで雪壁が途切れてしまったので涸沢側にトラバースして、できるだけ雪壁をつなげながら四峰の頭を目指す。しかしつなぎの岩の部分がかなり悪く、W級くらいはあった。トポには「四峰直下の岩峰は涸沢側から回り込む」とあるが、どこをいってもあまり良さそうなところはなかった。