八峰主稜〜チンネ左稜線〜丸山東壁緑ルート
2001年度山行報告 (C) 昭和山岳会(東京都山岳連盟)
2001年5月10日〜16日 
久留島、三苫

連休明けの黒部ダムは人もまばらで登山者は僕たちだけだった。こんな快晴の平日に山に来れるのは学生の特権である。まだ雪に埋もれた黒部川を遡り、内蔵助谷では丸山東壁の大きさに驚かされ、ハシゴ谷を越えれば目前にせまる八峰の迫力に目を奪われる。今回はこの一週間で剣を遊びまくってしまおうという非常に贅沢な企画だ。初日は真砂沢の少し上にテントを張り就寝。夜半から雲が出て雨が降り始める。

 翌日、八峰の上部はガスに包まれその姿は見えない。ボソボソとテントを打つ雨が実に憂鬱な気分にさせる。本日は偵察、荷物の整理に時間を使い後は体力と気力の養成。なんて贅沢なんだろう!!

 5月12日ゴーアップ。テントもシュラフも置いた僕たちは身軽になって真っ暗闇の長次郎谷をつめ上がる。アイゼンが小気味よくきき、ペースは順調。登れそうな雪壁を適当に駆け上がりT・Uのコルに出る。天気は快晴。雄大な景色を楽しみながら高度を稼ぐ。スノーバーを持ってきたが気温が上がり、雪が腐り始めて役に立たなくなる。おかげ様でX・Yのコルの先の雪壁では雪とともにズルズルと滑り落ちてちょっと恐い思いをすることになった。でも、5月のクライミングにはそんなこともちょっとしたスパイスにすぎない。僕たちは13時には三の窓に辿り着き上半身裸で雪洞を掘っていたのだ。実際にはその日の核心は就寝後だった。久留島さんはザックから寝袋をスルスルと引っ張りだしてさっさと眠ってしまったが、アルピニズムとは軽量化と勘違いしていた僕はビニール袋にくるまって眠れない夜を過ごすことになったのでした。

 5月13日チンネ左稜線。ようやく眠れない苦しみから解放されてクライミングを再開。町では寝ているのが最高だけど、山では登っているのが最高。1P目ほとんど埋まっており、2P目の凹角に詰まった雪壁を越す。この辺から雪がなくなりクライミングシューズに履き替える。時々、雪壁をキックステップしたりする羽目にはなったが、雲ひとつない青空の中ぐんぐんと高度を稼ぐ。核心の鼻のハングは体感は5.9くらいだが、気づいたらピトンの上の足が乗っておりフリーとはならず。とはいえ人生に10回はないくらいの最高のクライミングを終えさっさと本峰を踏みベースである真砂沢に駆け下りる。今夜は暖かい寝袋で寝られる幸せ。

 5月14日、ベースを丸山東壁基部に移し偵察。午後はやっぱり上半身裸でいられるくらいに暖かい。ルートの偵察をして明日の登攀に思いをはせて就寝。

 5月15日丸山東壁緑ルート。今回三度目のゴーアップ。基本的には単調なアブミのかけかえ。高度はグングン上がるが面白みはイマイチ。A2のハングは確かにアクロバチックなアブミムーブを要求されたが、僕はなんだか疲れてしまった。もうここは登らなくていいかなーなんて思い始めていた。日もすっかり暮れ始めていたし。久留島さんとは意見が対立したが、ここで降りることになった。暗闇に包まれた中、懸垂を繰り返しベースに辿り着く頃にはすっかり疲れきっていた。最後に憂愁の美をかざれなかったかもしれない。僕は自分の気持ちに少し後悔していた。

 5月16日下山。1週間遊びつくした。ありがとう剣。でも僕は自分の決断で緑を降りてしまったことをものすごく後悔し始めていた。
 翌月、僕は同じ丸山東壁でハンマーを振り回していた。ボルトのかけかえでないクライミング。僕は1Pに7時間もかけてアメリカンエイドの修行をしていた。

(記、三苫)